sonicbratの音楽が好き

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ピアノと弦楽器でぽろんぽろんって感じの音楽って好きです。誰も触れない楽園味のスコーン〜静穏な寂しさのクロテッドクリーム添え〜みたいな感じがしませんか?あるいは、幸せな思い出ジュース(濃縮還元)って感じの……

そう感じるのはテレビCMとかで久石譲summer聴いている日本人だからなんだと思うんですが本当は何故なんでしょうか。不思議です。でも音楽の感じ方を理論的に説明されても絵画を黄金比の理屈に則って説明されたときみたいに「それだけで説明しきれてはいなくない?」とかで納得いかない気もするのでこのままで行こうと思います。

 

私の含有する愉快な要素の一つに数学と美術どっちも好き、というのがあってフェルマー螺旋とか再帰的関数で描画されたCGを好ましく思う感性持ちなのですが黄金比の話ってあんまり好きじゃないんです。黄金比って数学オモシロ本に載っていがちなので少しの後ろめたさがあるんですけどコンポジションとかデザインって黄金比に則れば全て美しくなるわけではないじゃないですか、だから洗練された説明に思えなくて

 

……と書いたはいいもののこのブログのモットーは嬉しいこと・楽しいこと・好きなことをいっぱい書く!なので取り消し線してみました。実績解除:ブログで取り消し線を使う!です!!嬉しいです。

 

閑話休題、きっと日本人はみんなこういう音楽に懐かしい気分になるんでしょうけれど私としてはこういう曲に結びつく思い出があります。

高校の思い出です。

 

私の高校はスマホ禁止だったんですが私は音楽を聴いていないと耐えられない状態だったのでよく、隠れて音楽を聴いていました。

相談室の奥のソファや、放課後の教室で。

眠るみたいにコートを被ったり突っ伏したりして。

勇気が必要なときはamazarashiを聴いていましたが3年生になる頃にはもっぱら穏やかな曲ばかり聴いていました。sonicbratの曲もその一つです。

 

私は基本的に厭世的なんですが高校での記憶を思い出すと人の善性を信じたくなるような気がします。沢山のものを貰ったし、救いだったし、生きていける気がした。

だから卒業して一年経った今も辛い。高校を卒業して私に帰るところは一旦無くなってしまった。

高校の思い出なしに私は生きていたいとすら思えないのに、もう帰れない

なぜなら卒業してしまったから、大人になったから

 

…とか!

よく思います。一方で私の一番目立つ特殊性や魅力は高校2回留年したのに卒業したことだと思ってもいるので卒業自体には憎しみ以外にも誇りだって感じているんですけどね。

 

だから、私はかなしいさびしいの人間以外にもなれる!と思うので……なんとか大学合格したいですね。

私の推しは以前、「タナトスはオワコン」だなんて言っていたんですが私もそう思います。幸い、私にはまだやれることはあるんだから簡単に私の人生を退廃的なものにするのではなく「あなたに生かしてもらえた命で今あなたがいなくても幸せでいる」と恩師や親友に言いたい。こっちの方を真剣に必死にやりきった物語って少ないですから。せっかくならあんまり見なくて面白い物語にしてやりたい、と思います。

線形代数とか目標の話

 Twitterくん(私は断固としてXとは呼ばないつもりです)を眺めていると最近トレンドに線形代数が上がってくるのをよく見ます。私は元々人間の研究or代数的構造の研究のどちらにしようかな〜と考えた末に心理学部を暫定的に選んだ人間なので……こう……見るたびコンプレックスと憧憬を感じます。

 数学、好きですけど数学科で博士まで進む自信も執着もなかったんですよね……(逆に言えば人間分野に関しては執着があった)

 ただ最近、行動科学・認知科学分野に圏論を使うという話を知ったのでちょっと希望が湧いています。ほら、心理学だと必要なのは代数ではなく離散数学じゃないですか。だから私の好きな数学分野何の役にも立たない……としょぼくれていたのが役に立つかも!と嬉しくなっちゃったんですよね。ついでに群論民俗学に使う話は知っていたもののそれ以外で人文・社会分野に抽象代数学を利用する話はあまり聞いたことがなかったのでそれも嬉しさです。

 

 あーーーーやりたいことがいっぱいです。さらに言うと私は漫画も描きたいのでてんてこ舞いです。私のなかの真善美を表現さえできれば映画でも絵画でも小説でも良いのですが、表現媒体として漫画がお気に入りなんです。

 でもやっぱり、今一番の本懐は筑波大学に合格して「推しがいつも筑波山背景に雑談配信してるから筑波大学来ちゃった笑笑」とかツイートすることです。勿論、筑波は心理学分野が強いことや、私がデラシネの気分でいるためにそうしたいと思っているので生半可な気持ちではないんですが……なんか、そこまで人生が良い方向に進んだら嬉しいじゃないですか。

 「人に大切にされたことがないから人を大切にできなくて、人と話せないし、いつも辛い」って感じの10代前半を乗り越えて嬉しそうに笑う自分がいたらいいな、と思います。

日記/草稿

これまでのあらすじ:高校2回留年したけど卒業した輪郭さん、浪人したものの前期筑波大・後期信州大どちらも不合格!二浪を決めたけど後期の小論文で落ちたのがと〜〜ってもショックだったみたい!!これからどうなっちゃうの〜〜〜!?

(さすがに公開するのに全く内容がわからないブログは良くないかなと思って↑書いてみました、もうちょっとしたら現状まとめみたいな記事書きたいですね〜)

 

 小論文で落ちたこと、かなりショックだったんですが心の中の落とし所見つけられたかもしれません。

 私は今でもよく「天才になりたい」とか「優等生になりたい」と思ってしまうんですがその現れのひとつが「小論文で合格したい」だったみたいです。

 

 私の人生はそこそこ悲劇的で、今だって「たぶん私が幸せな方が高校の先生が喜んでくれると思うから自分を大切にする」なんてふざけた幼くて切実な肯定の仕方をしなければ自分を守ることすらできない。こんなひどいことがあっていいのかよ、とかよく思います。

 でももしも天才だったら?高校の授業に出なくても東大に合格するような人間だったら?逆境に負けなかった人にすぐになれる。悲劇的な状況を撤回できる能力がある人間だったらどんなによかっただろう、といつも思ってしまいます。

 辛く理不尽なことが無ければよかったのにと思うことはそれを受け入れて屈服しているということで、「それでも願いを叶えた」とか「それでも幸せに生きている」という結果こそ理不尽を克服したことではないでしょうか。だから天才だったらよかったのになんて思ってしまうのかもしれません。理不尽を克服してみせて私に嫌な思いをさせたすべてにざまあみろと言ってやりたかった。

 

 でもこの話題は私の中である程度まで考え尽くしたことでした。結局私は天才ではないということ。そして、天才が軽々と壁を乗り越える姿はかっこいいけれど地道な積み重ねで一歩一歩進んでいくことも同じくらい尊いことだということ。それが答えです。

 後者は私にとってとても都合の良い事実です。なぜなら地道な積み重ねには不屈の精神が必要で、運が良いことに私はそれを持っているから。高校を2回留年したくせに卒業した奴なんて誰もが不屈の精神を認めるでしょう?

 これまでだってそうしてきました。どうやって笑えばいいのかわからない、なら表情筋を筋トレしてアイドルをロールモデルに人好きする笑い方を習得する。人と話せない、ならラジオのパーソナリティや配信者を参考にしつつとにかく実践する。中3〜高2までの勉強がまともに学校に通えなかったせいでてんで駄目、なら時間をかけて少しずつ積み重ねて……志望校に出願できるぐらいの学力を手に入れることができた今の私がある。

 努力して解決するんだ、なんてものすごくマッチョな思考ですが他者にそれを要求しなければただのかっこいいジャンプ主人公です。しかも、世の中にはダイエット成功譚とか逆転合格という形で努力で解決した物語が溢れていますが、「上手に笑えない」とか「人と話せない」を努力で解決した話はそうそうない。希少性が価値を持つことはは経済学において不変の原理ですから、稀有なことだと誇ってゆきたいです。

 

 だから、私の思想は最初と同じ。「能力不足ならばレベルを上げて殴ればいい」。小論文だって今年はもっと練習してやったります!

私は凡人で簡単にざまあみろと笑える人間ではないけれどこれからもそうだとは限らない。自分はなんて無力なんだとアパシーになるのではなく、無力を噛み締めて悔しさを原動力に進むことが私の一番したいことです。

 こんな簡単に決意を忘れてしまうなんてああ私も弱いなと思ってしまうのですがこんな人間らしい失敗の積み重ねが27クラブに加入しないために必要なことだとも思うのでやっていきたいですね。