日記/草稿

これまでのあらすじ:高校2回留年したけど卒業した輪郭さん、浪人したものの前期筑波大・後期信州大どちらも不合格!二浪を決めたけど後期の小論文で落ちたのがと〜〜ってもショックだったみたい!!これからどうなっちゃうの〜〜〜!?

(さすがに公開するのに全く内容がわからないブログは良くないかなと思って↑書いてみました、もうちょっとしたら現状まとめみたいな記事書きたいですね〜)

 

 小論文で落ちたこと、かなりショックだったんですが心の中の落とし所見つけられたかもしれません。

 私は今でもよく「天才になりたい」とか「優等生になりたい」と思ってしまうんですがその現れのひとつが「小論文で合格したい」だったみたいです。

 

 私の人生はそこそこ悲劇的で、今だって「たぶん私が幸せな方が高校の先生が喜んでくれると思うから自分を大切にする」なんてふざけた幼くて切実な肯定の仕方をしなければ自分を守ることすらできない。こんなひどいことがあっていいのかよ、とかよく思います。

 でももしも天才だったら?高校の授業に出なくても東大に合格するような人間だったら?逆境に負けなかった人にすぐになれる。悲劇的な状況を撤回できる能力がある人間だったらどんなによかっただろう、といつも思ってしまいます。

 辛く理不尽なことが無ければよかったのにと思うことはそれを受け入れて屈服しているということで、「それでも願いを叶えた」とか「それでも幸せに生きている」という結果こそ理不尽を克服したことではないでしょうか。だから天才だったらよかったのになんて思ってしまうのかもしれません。理不尽を克服してみせて私に嫌な思いをさせたすべてにざまあみろと言ってやりたかった。

 

 でもこの話題は私の中である程度まで考え尽くしたことでした。結局私は天才ではないということ。そして、天才が軽々と壁を乗り越える姿はかっこいいけれど地道な積み重ねで一歩一歩進んでいくことも同じくらい尊いことだということ。それが答えです。

 後者は私にとってとても都合の良い事実です。なぜなら地道な積み重ねには不屈の精神が必要で、運が良いことに私はそれを持っているから。高校を2回留年したくせに卒業した奴なんて誰もが不屈の精神を認めるでしょう?

 これまでだってそうしてきました。どうやって笑えばいいのかわからない、なら表情筋を筋トレしてアイドルをロールモデルに人好きする笑い方を習得する。人と話せない、ならラジオのパーソナリティや配信者を参考にしつつとにかく実践する。中3〜高2までの勉強がまともに学校に通えなかったせいでてんで駄目、なら時間をかけて少しずつ積み重ねて……志望校に出願できるぐらいの学力を手に入れることができた今の私がある。

 努力して解決するんだ、なんてものすごくマッチョな思考ですが他者にそれを要求しなければただのかっこいいジャンプ主人公です。しかも、世の中にはダイエット成功譚とか逆転合格という形で努力で解決した物語が溢れていますが、「上手に笑えない」とか「人と話せない」を努力で解決した話はそうそうない。希少性が価値を持つことはは経済学において不変の原理ですから、稀有なことだと誇ってゆきたいです。

 

 だから、私の思想は最初と同じ。「能力不足ならばレベルを上げて殴ればいい」。小論文だって今年はもっと練習してやったります!

私は凡人で簡単にざまあみろと笑える人間ではないけれどこれからもそうだとは限らない。自分はなんて無力なんだとアパシーになるのではなく、無力を噛み締めて悔しさを原動力に進むことが私の一番したいことです。

 こんな簡単に決意を忘れてしまうなんてああ私も弱いなと思ってしまうのですがこんな人間らしい失敗の積み重ねが27クラブに加入しないために必要なことだとも思うのでやっていきたいですね。